■時系列
1937年の日中戦争(支那事変)の勃発から1945年の終戦、およびその後の呼称の変遷までを「大東亜戦争」の範囲として記述しています。
参照先 Wikipedia
1. 呼称の決定と開戦(1937年 – 1941年)
- 1937年: 盧溝橋事件により日中戦争(支那事変)が勃発。
- 1940年: 政府が「大東亜」の語を公的に使用開始。松岡外相が「大東亜共栄圏」を提唱。
- 1941年12月: 真珠湾攻撃等により米英へ宣戦布告。政府は支那事変を含めた一連の戦争を「大東亜戦争」と呼称することを閣議決定した。
2. 定義の拡大と戦争の進展(1942年 – 1943年)
- 1942年: 法令上の表記も「大東亜戦争」に統一。対オランダ・対ソ連戦もその範囲に含めると再定義された。
- 1943年: 大東亜会議を開催。アジアの植民地支配打破を戦争目的として再確認する。
3. 終戦と戦後の変遷(1945年 – 現在)
- 1945年8月: ポツダム宣言受諾。玉音放送(大東亜戦争終結ノ詔書)により敗戦が伝えられる。9月2日に降伏文書へ署名。
- 1945年12月: GHQの「神道指令」により、公文書での「大東亜戦争」の使用が禁止され、「太平洋戦争」の使用が強制される。
- 1952年以降: 占領終了により使用制限は解除。
- 現在: 日本政府は「大東亜戦争」を法令上定義しておらず、公的には「先の大戦」等の表現を用いるのが一般的となっている。
■太平洋戦争(大東亜戦争)はアジア解放戦争だったのか?
当時の日本政府が掲げた「大東亜共栄圏」というスローガンをどう解釈するかという歴史認識の根幹を両論の意見をあげていきたい。なお、本ブログは中国に関しては別途とし、東南アジアで起こったことを述べていく。
【参照】
上記Wikipedia
「太平洋戦争はアジア解放のための戦いだった」説は本当か?
古谷経衡
1. 肯定的な視点(歴史修正主義者「アジア解放」の側面を重視する立場)
この立場では、日本の行動が結果として欧米列強による植民地支配を終わらせ、アジア諸国の独立を促したという点を強調します。
- 欧米支配の打破と独立への契機
日本軍が東南アジアを席捲したことで、それまで「不敗」と思われていた欧米列強(英・米・蘭・仏)を一時的に放逐しました。
この勝利の姿を見た現地の人々が、自力での独立を目指す自信を得たという見方があります。 - 独立運動家の育成と支援
日本軍はインド(インド国民軍)やビルマ、インドネシアなどで、現地の独立軍を訓練・支援しました。
また、日本が敗戦した後も、日本軍から軍事訓練を受けた人々が中心となって、再植民地化を狙う欧米諸国との独立戦争(インドネシア独立戦争など)を戦い抜きました。 - 大東亜会議の開催(1943年)
アジアの指導者が東京に集まり、人種差別の撤廃と共存共栄を謳った「大東亜共同宣言」を採択しました。これは、植民地解放を建前として明確に打ち出した世界初の国際会議でもありました。
2. 否定的な視点(「アジア解放は建前だった」とする立場)
この立場では、戦争の主目的は日本の自衛と資源確保(国益)であり、アジアの解放はそれを正当化するための後付けの理論(宣伝工作)であったと主張します。
- 資源確保という実利的な目的
当時の日本は米国の経済封鎖(対日石油輸出禁止など)に対抗するため、東南アジアの石油・ゴムなどの資源を確保する必要がありました。
「解放」という言葉は、軍事侵攻を円滑に進め、現地住民の協力を得るためのスローガン(宣撫工作)であったと解釈される。 - 新たな支配者としての側面
欧米の植民地支配が、日本の軍政(軍による直接統治)に置き換わっただけだったという批判があります。
実際、インドネシアは独立を要望したが叶わず、大日本帝国占領下におかれることになった。 - 侵攻時、占領下におこえる過酷な状況
占領下においては、強制労働や食糧の強制徴発、過酷な資源搾取が行われ、現地の人々に甚大な死者)を与えた事例が多く記録されている。
連合国全体の損害について「軍人400万人以上、民間人数千万人にのぼるが、統計には諸説ある」とされており、特に東南アジアにおいては日本軍の占領下での食糧不足(飢餓)や労務動員(ロームシャ)によって、膨大な数の民間人が犠牲になったことも事実である。
【参考太平洋戦争における国別死者 Wikipediaより】
| 国名・地域名 | 被害人数(死者数) |
|---|---|
| フィリピン(現地人) | 約1,110,000人 |
| ビルマ | 約1,000,000人 |
| 蘭領東インド(インドネシア) | 約4,000,000人 |
| 仏領インドシナ(ベトナム等) | 約2,000,000人 |
| 英領マレー・シンガポール | 約100,000人 |
| タイ | 約5,000人 |
| フィリピン(日本軍) | 約498,000人 |
| ビルマ(日本軍) | 約164,000人 |
| ビスマルク・ソロモン諸島(日本軍) | 約118,000人 |
| 東部ニューギニア(日本軍) | 約127,000人 |
| マレー・シンガポール(日本軍) | 約11,000人 |
| 合計(概数) | 約9,133,000人 |

「太平洋戦争はアジア解放のための戦いだった」説は本当か? から拝借
3. まとめ:歴史的評価
「アジア解放」という側面は、「日本の戦争目的(意図)」としては「戦後アジアの歴史的結果」としては影響を与えた、という面を持つのは確か。
しかし、「アジア解放」という側面だけを過度に強調し、戦争を美化する歴史観に対しては、以下の歴史的事実に基づき厳格に向き合う必要がある。
第一に、この戦争がもたらした凄惨な現実を直視せねばならない。戦地では日本軍兵士のみならず、多くの現地住民が戦闘や飢餓、過酷な軍政によって命を落とした。派遣された日本の一般市民を含む膨大な犠牲の上に成り立つ行為を、「解放」の一言だけで正当化することは不可能である。
第二に、パリ不戦条約を締結しながら他国へ侵攻した事実は、国際的な信義に背く国際法違反の侵略行為としての性質を明白に示している。
加えて、欧州戦線で本国が疲弊した隙を突く形での東南アジア進出は、実質的に「火事場泥棒」的な利権奪取の側面が強い。
日本が謳った「アジア解放」の実態は、侵略戦争により欧米の利権を挿げ替え、自らの植民地支配を拡大しようとする試みに過ぎないという面もある。
負の側面を隠蔽し、「欧米からの過酷な支配体制を解放し、現地の人々に歓迎された」と一方的に美化する歴史修正主義的な言説は、歴史の歪曲である。我々は多角的な根拠を持ち、こうした偏った歴史観に対して毅然と抗い、事実を直視し続けなければならない。
尚、日本の進攻によって東南アジアで多くの犠牲者が出た事実は、現在の教科書でも数行の記述に留まることが多く、日本人の多くがその実態を十分に理解していないのが現状と推測される。
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